こんにちは。少し温かくなったと思って薄着をすれば、翌朝は再び氷点下の冷え込みになったり、春の足音が聴こえてくるこの季節はそわそわと落ち着かない時期です。そもそも、年度末ですしね。
いよいよ、3月14日には北陸新幹線が金沢駅まで開業4月5日からは善光寺御開帳、戸隠では4月26日から一ヶ月間、戸隠神社の式年大祭が行われます。
雪融けを待たず、戸隠をお参りいただくお客様へのおもてなしの準備が始まります。
そんな動きの中で、戸隠人が集う2つの会に参加しました。
まずは、戸隠中社・宝光社地区まちづくり協議会が主催した戸隠まちづくりシンポジウム2015。
以前のブログでも紹介しましたが、長野市の歴史的風致地区に指定され、伝統的建造物群保存地区とし今後、町並みの整備がされていく戸隠。地域の皆さんの関心も高く、会場の中社公会堂には女性を含めて多勢の姿がありました。
この日のメインは先進地区として京都府南丹市美山町から「
北村かやぶきの里保存会」の中野貞一さんをお招きしての講演会でした。
日本の原風景と呼ばれる田んぼに囲まれた茅葺き屋根の北村地区。その昔は林業王国といわれ、農林業で成り立っていた北村は昭和40年代以降、過疎化、少子高齢化により衰退し、棟が落ちる茅葺きも出現したそうです。
一方で、北村の素朴な風景を映そうと、カメラマンや絵描きが多く訪れ、それによって住民も北村の魅力を再確認していったということ。
そして、なんとか村を甦らせようと、雑穀の餅の生産販売や里芋の協同栽培など地道な取り組みをはじめ、行政(旧美山町)からも積極的な働きかけを受けて伝統的建造物群保存地区指定を目指したそうです。
行政の後押しを受けながら町おこしを進める中で、中野さんが一番お気に入りだったのは「目指せ日本一の田舎づくり」というキャッチフレーズ。
店屋はほとんどなく、建物もただの農家住宅。けれど、それがウリ。あるものを第一に自らの手で地域を守っていこうという町民意識、連帯感が醸成されたといいます。
こちらの写真は地域新聞「ふるさと」(縮刷版)
町民の啓発、親睦を図るために、手書きで北村の出来事や住人のインタビュー、写真など30年の長きにわたって北村の「今」を記録しているそうです。
素晴らしい努力ですね!
こうした地道な活動が実って、北村地区は平成5年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
中山さんは、茅葺き所有者だけでなく、トタン葺きの住人も含め全員の同意を得たことが最大のポイントだとおっしゃっていました。当時は全国初のことで、これにより、住民間の不公平がなくなり、後の活動がとてもやりやすくなったそうです。
その後、保存優先の基本理念、精神的な心がまえを「北村かやぶきの里憲章」という形で制定し、全額住民出資の合同会社も設立。特産品の開発や生産、直売などにより、雇用も創出されているとのこと。
短時間の講演だったので、お話の内容は活動のほんの一端だったかと思いますが、戸隠宝光社・中社地区のまちづくりにあてはめてもとても参考になり、有意義でした。
さて、もうひとつご紹介するのは戸隠の観光や農業に携わる若手有志を中心とする「戸隠未来会議」。
一時の戸隠ブームが去り、観光客とともに人口も右肩下がりの戸隠において、10年、50年後の子どもたちに何を残していくのか、ビジョンを描き、それに向けて進んでいくためのワークショップ型会議です。
2回目となった今回は、戸隠に熱い想いのある長野市の観光振興課の担当者も含め、20数名が集まりました。
参加者が4チームに分かれ、戸隠のよい点、悪い点を洗い出し、カテゴライズして模造紙にまとめていきます。
ふだん思っていてもなかなか言う機会がないようなことも、この場では自由に発言でき、会話をしながらの作業は、とても面白く、ついつい時間が経つのを忘れそうでした。
その後、まとめた内容をグループごとに発表します。
浮き上がった課題の優先順位をつけ、その解決のために何をしていけばよいのかを考えていきます。
年齢、職業、立場は違えど、戸隠の自然と文化を愛する戸隠人たち。
50年後の子どもたちの笑顔のために、どんなビジョンを持って進んでいくのか、乞うご期待!