戸隠の桜守と五地蔵桜

toga

2015年05月01日 11:01


こんにちは。五月晴れという言葉がよく似合う五月のはじめ。日中は真夏のような日差しが照りますが、吹く風は爽やかな戸隠です。
さて、今回は桜にまつわるいいお話を。
晴天に恵まれた4月29日(みどりの日)、戸隠大山桜プロジェクト実行委員会主催の桜の植樹会が戸隠牧場で行われました。
このプロジェクトについては昨年の4月にもご紹介しました(「戸隠が大山桜の名所に!?」)が、今回の主役は植樹する若木(7年目)の親木である大山桜の古木(推定樹齢250年)です。
プロジェクトの発起人である桜守、山の庭のタンネの里野龍平さんは、数年前から戸隠での植樹を進める一方で、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の大川小学校に犠牲になった子供や先生の供養のために、犠牲者の人数の分の植樹を続けてきました。
震災から4年、被災地にはまだまだ被害の爪跡が残されているとききますが、今回、御礼ということで石巻の方から宮城県産の石が送られ、親木である戸隠牧場の古木に命名の碑が建てられることになったのです。
里野さんがこの樹に名付けた名前は、「五地蔵桜」。

そして、宮城県の大蔵山スタジオ(株)から送られた伊達冠石(だてかんむりいし)に戸隠豊岡の法雨庵庵主駒澤たん道氏の筆が立派に刻まれ、古木の前に建てられました。

この日は桜を通した被災地と戸隠との深い交流を記念し、プロジェクト関係者や、石碑制作・寄贈者の山田社長、植樹会の参加者等30名程が集まり、臨済宗の僧侶である駒澤氏が石碑の前でお魂入れの法要を行いました。


宮城県の大蔵山のみで採石されるという伊達冠石(安山岩)は、自然石の形状で採石される大変貴重な石とのこと。
今回の石碑建立の経緯の説明を受けた寄贈者は戸隠の自然をイメージしながらやわらかくあたたかみを持った石碑になるようにと心を込めて加工したそうです。

五地蔵桜の名前の由来について、里野さん(写真中央)は「五地蔵山(上の写真で桜の真後ろにピークがある山)の麓にある樹であり、山伏の修行の地だった戸隠の象徴であり、長い歴史の中で、戸隠連峰で命を落とされた方々への供養の意味もある」と話されました。

また、通例、戸隠で行われるお祭等は戸隠神社の神事がつきものですが、この日は仏事でした。駒澤氏は天台宗での資格もお持ちで、この日、最初に詠まれた経文は天台宗のものでした。つまり、廃仏希釈の歴史を経て、150年ぶりに天台宗のお経が詠まれたということ。戸隠信仰の歴史に思いを馳せるのにも最高のスポットとなりそうです。

その後、牧場とキャンプ場の間の草地に設けられた植樹場所にて、県内外から募ったオーナーの皆さんにより、大山桜の植樹が行われました。
地元戸隠の方から遠くは静岡県の方まで、幅広い世代の方が思い思いに桜を植え、清清しい休日のひとときとなりました。

五地蔵桜の見頃は例年5月中旬頃です。お楽しみに。
※五地蔵桜は5月1日に開花し、5日頃に満開になりました。
例年より1週間以上早い開花でした(5月8日追記)
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