2016年03月27日
100年後の戸隠を見据えて。

こんにちは、早朝に起きて書くことが多いこのブログですが、夜明けが早くなり、5時を過ぎればだんだんと東の空の明るさが頼もしく感じられるようになってきました。朝はまだ氷点下に冷え込む日もありますが、早起きの鳥たちのおしゃべりが、季節の移ろいを感じさせてくれます。
そんな3月終わりの週末、戸隠公民館で行われた「戸隠ゆかりの講演会」に参加しました。
講師は、戸隠出身で、人とホスピタリティ研究所代表の高野登さん。
高野さんは、1974年に渡米し、アメリカでホテル・マネジメントの経験を積まれ、1994年にリッツ・カールトンの日本代表として帰国。大阪、東京での開業を成功に導いたリーダーとして有名です。
2009年にホテル業界を退いたあとは、人とホスピタリティ研究所を設立し、各地での講演・研修や、組織の活性化、人材育成などに活躍されています。
故郷戸隠での講演は今回で3回目ということで、前半は高野さんと、戸隠地区住民自治協議会会長、戸隠観光協会会長をパネラーに、参加者の声も取り入れたパネルディスカッション形式で行われました。

写真:右から高野さん、戸隠観光協会極意会長、戸隠地区住民自治協議会新井会長、戸隠公民館西館長
冒頭で高野さんは、こんなエピソードを語ってくれました。
_大人になって友人を戸隠へ案内し、田園風景の向こうに戸隠連峰が見渡せる場所を車で通過しようとしたところ、「ちょっとまって、ここに車を停めてくれ」と言われた。
友人はその場で40分も動かずに、黙って景色を眺めていた。
彼は言った「おまえは、こんなところに生まれ育って、本当にラッキーだな、こういうところで生まれ育つことが、どんなにラッキーかわかるか」と_

「あなたにとって、戸隠のよさとは何ですか?」
という問題提起に、参加者からは自然の美しさ、戸隠信仰の歴史、そばなど、いろいろな意見が出ました。
そんな声を受けて、高野さんは、
_戸隠の人は、そばがおいしいというけれど、会津に行っても、福井に行っても、出雲でも、“ここはそばがうまい、ここのそばが一番だ”と言います。
戸隠そばの特異性はどこにあるか、それは、そばを打つ人とその姿勢のよさにあると、私は思います。だからこそ、全国からそば打ちの修業のために戸隠に来るのです。_
また、戸隠には観光資源が豊富だという声に、高野さんは「観光」のことばの意味を投げかけます。
_観光とはその土地の光を観ること。
では、光とは何か、それは人々の営みの豊かさにあります。
お隣、小布施では観光客とともに若い人の人口が増えている。
栗菓子や北斎の絵のおかげではない、それは、小布施の人々の営み=小布施の人々がつくったガーデンを観に来るためです。
戸隠神社の「式年祭」があるから人を呼ぶのではない。
本来、式年祭というのは人々の営みとしての”祈りの象徴”であり、よその人に魅せるためのお祭りではなかった。_
「戸隠の問題点は?」
という問いかけには、地域ごと、組織ごとに閉鎖的で、連携ができていないという声が最も多く、その他に、地場産業がない、空き家が増えているなどの声もありました。
高野さんは、「壁にぶち当たって限界集落になってからでは遅い。今、ぶつかる前の余力がある状態で、百年先を見据えて考えることが大切」と説きます。
若い世代にこそ聴いてほしい高野さんのメッセージですが、参加者の多くは、年配の方....子連れで参加していたのは我が家だけでした

そんな年配者への高野さんのアドバイス。
_”人を動かそうとするのではなく、人は魅力があれば動くもの”。
ここへ集まっている意識の高い人たちが、手を取り合って一歩を踏み出す、ちょっとずつ変えていく練習をしましょう。
初めから大きく変えようとするのは大変だし、皆ついてこない。少しずつ変えていくことが、将来的な変化につながる。
私は人にものを伝えるときには、100回でも1000回でもなく、1万回必要と思うようにしている。
大切なのは、粘り強く続けること。_

住んでいると当たり前に思ってしまうことが、よその人の目で見ると違っていて、自分が戸隠を離れてみて改めてその良さに気が付くもの。
だからこそ、地域おこしには、外から来た人や、一度は戸隠を離れた人の存在が要となるのかもしれません。また、被災地・福島や、国際的な観光都市を目指している金沢など、本気になっている地域での事例から学ぶことも大事だと高野さんは教えてくれました。
ご自身の体験談を交えながらのお話は、機知に富んでいて説得力があり、ずっと聴いていたいような内容でした。
個人的なことを言うと、子どもの相手で途中離席し、しっかりと聴くことができなかったのが、心残りではありましたが...

5年前に嫁として外から来た私にとって、戸隠の自然、文化、暮らしはすべて驚きと発見に満ちています。
そんな発見の一端を、このブログの場を借りて綴らせていただきました。
必然的に、観光客目線というよりも、住民目線となることが多く、”観光協会スタッフブログ”としてこれでよいのかとの葛藤もありました。
とはいえ、2012年8月から今日まで128回の投稿を続けてこられたのも、ひとえに詠んでくださった皆さまのおかげさまと感謝しております。
諸事情により、「戸隠ノート」としての発信は今回が最終回となります。
これまで私の拙い文章にお付き合いいただいた皆さま、どうもありがとうございました!
そして、これからも、戸隠を温かい目で見守っていただきますよう、お願い致します!
2016年03月19日
戸隠の子どもたち。

屋根を叩くような雨音で目が覚めました。
「暑さ寒さも...」というとおり、ここ数日はほとんど寒さを感じず、逆になま暖かい風に違和感を感じる戸隠です。
スキー場のゲレンデも、戸隠山の雪もだいぶ薄くなってきましたが、シーズン終了までもうひと頑張りしてもらいたいものです。
さて、3月は別れ・旅立ちの季節。戸隠の小・中学校でも卒業式が行われ、清らかな瞳の子どもたちが、未来へ向かって旅立っていきました。
さかをのぼる さかをくだる
あしはふるさとの だいちふみしめ
こころはゆめみる そらのかなたを
やまやまに まもられて
とりたちと ともにうたって
わたしたち とがくしのこども
これは、11年前に地区内3校が統合して生まれた戸隠小学校の校歌(1番)の歌詞です。
作詞は谷川俊太郎さん、作曲は谷川賢作さん。
初めてきいたときから、耳に残るメロディと心躍る歌詞。
私は特に「やまやまにまもられて とりたちとともにうたって」というフレーズが好きで、子どもと一緒に合唱しては感動しています。
昨秋、統合10周年記念の学校行事が行われた際に、谷川俊太郎・賢作親子が小学校を訪れました。
84歳という高齢ながら、少年のような遊び心は健在で、子ども達の前で詩を朗読し、笑いの渦を巻き起こす谷川さんの姿は、天晴れでした。
以前からよく戸隠を訪れ、詩の朗読会などを行われていた谷川さんの、戸隠への愛が込められているこの校歌。
子どもたちが将来何かにぶつかったときに、山の情景を思い出し、この歌を口ずさんで、励まされるといいなと思います。

秋、子どもたちが走るマラソンコースからも、戸隠連峰が眺望できる。
雄大な戸隠の山々を毎日飽きるほど見ながら、春は花を摘み、短い夏は思い切り太陽に当たり、秋は紅葉、冬はたっぷり雪あそびができる戸隠の子どもたち。
年々少なくなる子どもの数ですが、戸隠で子育てができることに感謝しながら、育っていく子どもを見守っていきたいと思う、春の朝です。

旧暦で行われる戸隠のひな祭り。お雛さまものんびり。