2016年02月28日

音を愉しむ山の夜。


こんにちは。夜来雨が降り、春の気配が感じられる穏やかな週末となりました。
戸隠スキー場にはまだまだたっぷりの雪。”スキーの後に、心地よい音楽を聴きながら、ちょっとぜいたくなひとときを”愉しんでもらおうと企画された「戸隠キャンドルナイトコンサート」に行って参りました。

コンサートの開始時間は、19時半。30分ほど遅れて到着しましたが、会場のシャルマン戸隠まで、続くキャンドルの照明が出迎えてくれて、あたたかな気持ちになりました(写真ブレブレですが、悪しからず....icon10
1月から3月にかけて3夜企画されているコンサートの、今回は第2夜で、ゲストは飯山市在住のギタリスト丸山祐一郎さんと、こやまはるこさんの夫婦ユニット。アコ−スティックギターの心地よいサウンドとほのぼのとした歌声に包まれ、集った人々のくつろいだ雰囲気が印象的でしたicon12

丸山ご夫妻は、「旅の音楽家」として国内はもとより、海外でも評価の高い演奏家。丸山さんは、ビリンバウというブラジルの一弦琴の演奏家でもあり、世界各地の民族楽器や、自作の楽器とともに愛車のランクルに積んで、コンサートで披露しているそうです。

こちらは、丸山さんが考案された「水カンリンバ」。空き缶を4つ使い、真ん中の2缶にお水を閉じ込めて音を奏でる楽器です。
水が流れる音を聞くだけで、不思議と心が安らぐのですが、水カンリンバを持って奏でてみると、その音が全身に伝わり、力がみなぎってくるようでした。
ちなみに取水した場所によって、その土地独自の音が生まれるそうです。
小さな缶を使った携帯用の水カンリンバウも限定販売されていました。

コンサートはワンドリンク付き。シャルマン戸隠のシェフオリジナルのおいしいおつまみも用意され、ワインやビールが進んでいる方もface02

「星に願いを」や「愛しのエリー」などなじみ深い曲はBGMとしても、最高でした。

はるこさんが持っているのは、アコーディオンの原型「手風琴」。人の声に近い、有機的な音色でした。

こんなプラスチックのパイプも、楽器になるんです!

このパイプを客席にいる何名かでぶんぶんと振り回します。すると、空気が管を伝わって、ヒュウヒュウ♪不思議な風の音色が会場に広がる様は、まさに音のマジックでした。


東日本大震災以降は、被災地の方の心のケアにも力を入れられているというお二人。
丸山さんが楽器を弾くときに心がけているのは、「一音の中に魂を込める」こと。
それが、生きること=祈りだと。

一弦でありながら、色々な音が響き合うかのようなビリンバウの音色。初めて聴くのにどこか懐かしいような気持ちになりました。

最後に、丸山さんが見せてくれたのは、虹色の旗、”PEACE”の4文字が書かれています。
もつ人に幸運を運んでくれるということで、会場の皆さんで旗を回し、音楽に合わせてひらめかせ、「PEACE」を共有しました。

音を通して人がつながり合い、心が満たされる、そんな音楽の原点に触れた、素敵な山の夜となりました。
シャルマン戸隠では3月26日(土)の夜にも毎年恒例となった「魔法の音楽の夕べ」というコンサートが行われます。
詳細は決まり次第HP等でお知らせします。冬はスキーの後に、音楽。おすすめのフルコースです♪  


Posted by toga at 10:22Comments(0)イベント

2016年02月18日

戦国武将と杉並木


こんにちは。2月中旬の雨で雪融けが始まったかと思えば、翌日は雪が降ったりと、体の調子もおかしくなってしまいそうな天気が続く戸隠です。
上の写真と下の写真、戸隠地区内で連続する2日間に撮ったものです(撮影地の標高差はありますが)。


さて、1月から始まった大河ドラマ「真田丸」は、ご覧になっていますか?
冒頭のタイトルバックに戸隠の鏡池と奥社杉並木が登場すること、そして、舞台が信州であるということだけでも、戸隠人ならびに、長野県民の方々にとっては、注目度の高い番組となっています。
さて、鏡池の方は真田家の物語と直接的には関係ありませんが(生涯城を持たなかった真田信繁(幸村)の理想の都を想像し、県内各地の風光明媚なスポットを組み合わせて表現したとか)、戸隠神社奥社参道の杉並木の歴史とは、少し関わりがあるのをご存知でしょうか。

戦国の動乱の時代、信濃の国は越後の上杉家と甲斐の武田家の五度に及ぶ戦争の渦中にありました。戸隠も例外ではありませんでした。
霊山・戸隠は両家にとって政治的な要所。戦禍を逃れるため、一時は衆徒が山を離れ隣村に疎開を余儀なくされた歴史もあります。

その後、武田家が滅亡し、本能寺の変を経て、戸隠山が上杉方にあった文禄元(1592)年。
豊臣秀吉より朝鮮出兵を命じられた上杉景勝は、春日山城に滞在していた戸隠山別当の賢栄に戸隠大権現へ戦勝祈願を奉納させます。
第一次朝鮮出兵は1594年末に一旦講和。無事帰還したことの御礼として戸隠山の復興を行い、その際に多くの杉を寄進したと言われています。

立春前日、奥社参道にて(写真提供:studio yukey)

豊臣秀吉が世を去った慶長3(1598)年、徳川家康に反発した上杉景勝は、会津へ。戸隠山は徳川家の支配下となります。
慶長16(1612)年には、「戸隠神領」として千石を寄進された戸隠。同時に幕府により「戸隠山法度」を賜り、戸隠山顕光寺は修験道から天台宗の寺院として改められ、新たな時代を迎えました。

上の写真は、その当時から神社として祀られていた火之御子社。
火之御子社の神職を代々務めていたのは、江戸時代以前に戸隠山の別当も出したことのある家柄の栗田家(山栗田)です。
幕府からの千石のうち、二百石は栗田家が受け取っていたことも知られています。

〜大杉や 兵(つわもの)どもが 夢の跡〜

戦国の歴史を見てきた戸隠の大杉。兵たちが去った今もなお、私たちの営みを見守ってくれている、貴重な存在です。
  


Posted by toga at 09:46Comments(1)戸隠神社歴史と伝説