2012年09月27日

戸隠の紅葉伝説(その2)


稲刈り後のはぜがけの風景が広がり、秋雲たなびく戸隠から
今回は、戸隠に伝わる鬼女紅葉伝説第2弾をお届けします。

都から信濃の国・水無瀬(現在の鬼無里)へ流され、そこを京の都に見立てて暮らしていた紅葉。
やがて、紅葉が力を貯えて都を狙っているという噂が京に流れます。
そして、天皇の命により追討に差向けられた平維茂を避け、
鬼無里から戸隠(旧柵=しがらみ村)の荒倉山に移り住んだと伝えられています。

こちらが荒倉山の南傾斜面にある「鬼の岩屋」。
大小2つの洞窟があり、向かって左(柵が立っている方)が紅葉の生活拠点だったといわれています。


お次は、戸隠を一望する裾花川の対岸に建つ矢本八幡宮。
平維茂が紅葉を成敗するに当たって、八幡大神に祈願し矢を放ち攻める方向を占った場所といわれています。

矢本八幡宮の境内にある「踏張り足跡の石」。
平維茂が弓を引く時、踏ん張ったためにできたという足跡が残されています。


こちらは、矢本八幡で射た維茂の矢が落ちた先に建てられたといわれている柵(しがらみ)神社(以前は矢先八幡と呼ばれていた)。
境内には明治時代に建てられた芳賀矢一博士撰文の「平維茂紅葉狩遺蹟」の石碑があります(写真右奥)。


そして、美女達を従えた紅葉が様子を探りに来た維茂に毒酒を飲ませようとし、
かえって鬼女と見破られたのが、毒の平(ぶすのたいら)。現在の荒倉キャンプ場です。

写真右にある建物は、民舞伝習施設の能舞台。
毎年10月下旬に催される「鬼女紅葉祭り」ではメイン会場になります。

第54回目を数える今年の「鬼女紅葉祭り」は10月21日(日)10時〜です。
紅葉稲荷社にて鬼女供養祭が執り行われた後、能舞台にて能や謡曲・仕舞(「紅葉狩」)の奉納が行われます。
ちょうど、戸隠一帯の紅葉が見頃を迎える季節、伝説の里へお出かけになってみてはいかがでしょう。

鬼女紅葉伝説その3へ続く…。  


Posted by toga at 11:55Comments(0)歴史と伝説

2012年09月15日

「戸隠さんぽ隊女子部」始めます!


こんにちは。秋雲たなびく戸隠から、
今回は「戸隠さんぽ隊女子部」より宝光社周辺のお散歩コースをご紹介します。
女子部と言っても、今のところ部員はスタッフの2名…。
これから女子目線で、戸隠の「いいね」を発掘・発信していきたいと思いますので、
興味を持たれた方は、ぜひ部員になってください。
(このブログやFBにコメントを入れてくださったあなたはもう部員です!)

スタートは戸隠商工会館バス停。
こちらに戸隠観光案内所があります。

県道を挟んで向かい側は長野吉田高校分校です。
6年前までは戸隠小学校の宝光社分校でした。
正面玄関へ向う途中に、知る人ぞ知る文学碑があります。


戸隠には古都のやうに
美しい子供がいる
その典雅清麗の面差の子は
礼儀正しく
山は厳しく水清く
少女の髪は黒く
少年の唇は赤く
お宮かお寺じみた家は
柱が太く屋根の萱が厚い

この一節はノーベル賞作家川端康成が、戸隠を訪れた際に執筆した
「牧歌」という随筆に書かれています。
川端康成は信濃町の柏原から小林一茶の土蔵を見た後、
戸隠牧場・奥社の杉並木などを歩いたそうです。
(参考文献:戸隠村教育委員会編「戸隠の民話」)

分校から県道沿いにしばらく進むと、右手の墓地に夫婦道祖神を発見!
思わず笑みがこぼれます。

そして、左側、蕎麦屋二番館の脇に建つのが、延命地蔵を祀る地蔵堂。

お地蔵様とともに役行者(えんのぎょうじゃ)や学問行者像など
江戸時代に制作されたという像が数体安置されています。
毎年8月23日の晩には地蔵盆祭りが盛大に行われます。

県道36号線、鬼無里・白馬方面への分岐点。峠越えに自信がある方はどうぞ。


院坊旅館の家並み。
川端康成も見たであろう、屋根の萱が厚く、“お宮かお寺じみた家”が並びます。

こちらは、長野市の景観重要建造物に指定されている越志旅館

宝光社では昭和20年に大火があり多くの宿坊が焼失しましたが、
越志家はこのときの焼失を免れた数少ない宿坊で、築250年余になります。
現在の萱は30年程前に葺き替えたものだそうです。

宝光社を目前に、左へ曲がる道はご存知、鏡池へ向う道路。
舗装路ですが、幅員が狭いため、普通車以外は通れません。


そして、いよいよ戸隠神社・宝光社に到着。
270余段の石段を登ると、荘厳な社殿が待っています。

宝光社の社殿は現存する戸隠五社の社殿の中では一番古い寺院式建築。
階段を登ってみる価値は大です!ぜひ、実際に歩いて見に行ってみてくださいね。
(途中階段を迂回する「女坂」もあります)
ここまで寄り道しながら約50分。
車ではなく歩いて散策すると思わぬ発見ができて、楽しさUP!
お昼のお蕎麦のおいしさもUP!
長野駅からはほぼ1時間間隔で路線バスが運行しております。
秋の行楽シーズン、渋滞を避けるためにも、
公共交通機関を使っての戸隠行きをぜひご検討ください!
  


2012年09月08日

戸隠の紅葉伝説


秋そばの花が満開になり、来月にはいよいよ新そばの収穫が始まります。
第43回目を迎える今年の戸隠そば祭りのテーマは「足神さん」。
戸隠の昔話にお詳しい方ならピンと来るかと思いますが、
大半は「足神さん?」と思われることでしょう。
(恥ずかしながら私自身、つい最近まで知りませんでした)
そばとは直接関係ないですが、鬼女紅葉の配下で千里を駈ける女丈夫だったという
「足神(おまん)さん」に因み、今回から数回に分けて
戸隠に伝わる「鬼女紅葉伝説」とゆかりのスポットをご紹介したいと思います。

まずは、紅葉伝説のあらすじから。
平安の昔のことです。奥州の会津に子供に恵まれない夫婦がいました。
夫婦は旅人から教えられ、六天魔王に願い、美しい女の子を授かりました。
呉葉(くれは)と名付けられた少女は輝く美貌と才知に恵まれて育ちました。
後に紅葉と名を改めた少女は、両親とともに京の都に上り、美しい琴の名手として都中の評判になりました。
やがて、時の人・源経基公の寵愛を受けるようになった紅葉は、経基公の正妻を妬み、
呪いをかけようとして事が露見し、信濃の国(戸隠)へ追放されました。
そして、水無瀬(みなせ=現在の鬼無里)に辿り着き、この里を京の都に見立て、
内裏屋敷を構えて暮らすようになりました。

罪人として流された紅葉でしたが、その美しさと教養の高さから村人に慕われ、
医術や裁縫、琴を教えたとも言われています。
しかし、都への想いが断ち切れず、一夜山の山賊たちを妖術で従え、悪事を働きました。
これを聞いた朝廷では平維茂を追討にさし向けましたが、住み家もわかりません。
維茂は神に祈って矢を放った方角に進みました。
待ち構えた紅葉たちは美しく装って毒の酒をすすめたところ、維茂に見破られ、
鬼女の正体を現したところを討たれて果てました。
(参考文献:戸隠村教育委員会編「戸隠の民話」)

以上、かなり大雑把にまとめましたが、謡曲「紅葉狩」としても有名な紅葉伝説のあらすじでした。
戸隠には鬼女紅葉伝説にまつわる史跡や地名がたくさんありますので、逐次ご紹介していきたいと思います。

足神社(中社地区)
身の丈8尺(約2.4m)、35人力で一夜のうちに数十里も歩く健脚であったおまんを「足神さん」として祀った神社。
平維茂との戦いののち「硯石」に映った自らのあさましい姿を見て悟り、以後仏法に帰依したとも伝えられている。  


Posted by toga at 16:00Comments(0)歴史と伝説