2013年10月07日
戸隠の紅葉伝説(その3)

こんにちは。
鏡池の紅葉の問合せが殺到する時期になりました。朝の冷え込みが10℃以下になると色付きが進むといわれています。
今シーズンも例年通り今月中旬からが見頃となりそうです。
さて、紅葉といえば、戸隠で知られるもうひとつの”紅葉狩”。
昨年2回にわたってご紹介した「鬼女紅葉伝説」シリーズの続編をお届けします。
〜鬼女紅葉伝承のあらすじ〜
平安時代の頃、紅葉という高貴な女性が京の都から追放されてきました。穏やかな日々が過ぎて行きましたが、やがて紅葉は他村を荒らし回る生活を始め、鬼女と呼ばれるようになりました。朝廷はその噂を聞き、平維茂に鬼女退治を命じました。維茂は多くの兵を連れ討伐に向いました…神仏に戦勝を祈願した維茂は妖術を操る紅葉を破り、ついに紅葉は征伐されたのでした。
(参考:長野市立博物館「山村に生きた武将たち〜東の真田 西の大日方〜)
鬼女の首を討ち落とした維茂軍でしたが、その首は重すぎて都に持ち帰ることはできなかったため、最初に矢の落ちたところ(現柵神社)に首を埋め、五輪の塔を建てたと伝わっています。
現在その場所は、「鬼の塚」と呼ばれる史跡になっています。

そこから、戸隠化石博物館を経て、権現山万樹林大昌寺へ。
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こちらのお寺には鬼女紅葉・平維茂合祀の位牌と、松代藩の絵師・三村養益の描いた「鬼女紅葉退治之図」の掛け軸があります。

掛け軸は普段はお寺で拝観することができますが、現在(10/5〜11/24)、長野市立博物館で開催中の特別展「山村に生きた武将たち~東の真田 西の大日方~」にて展示されています。

※写真は7月に戸隠さんぽ隊で拝観した際のスナップ。
鬼女紅葉の伝承は史実ではないにしても、農村において武士が初めて登場したお話ということで、重要視されています。
美しい女中に化けた鬼達が平維茂らに毒を盛ったと伝わる毒の平(ぶすのたいら)は
現在の荒倉キャンプ場。来る10月20日(日)には第55回「鬼女紅葉まつり」が開催されます。
紅葉の岩屋までのウォーキングも実施予定です。
ご興味のある方は、ぜひお出かけください。
※公共交通機関は通っていませんので、アクセスは自家用車等でお気をつけてお越しください。
Posted by toga at 13:34│Comments(0)
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