2015年03月07日

戸隠の未来を語る。

戸隠の未来を語る。
こんにちは。少し温かくなったと思って薄着をすれば、翌朝は再び氷点下の冷え込みになったり、春の足音が聴こえてくるこの季節はそわそわと落ち着かない時期です。そもそも、年度末ですしね。
いよいよ、3月14日には北陸新幹線が金沢駅まで開業icon124月5日からは善光寺御開帳、戸隠では4月26日から一ヶ月間、戸隠神社の式年大祭が行われます。
雪融けを待たず、戸隠をお参りいただくお客様へのおもてなしの準備が始まります。

そんな動きの中で、戸隠人が集う2つの会に参加しました。
まずは、戸隠中社・宝光社地区まちづくり協議会が主催した戸隠まちづくりシンポジウム2015。
戸隠の未来を語る。
以前のブログでも紹介しましたが、長野市の歴史的風致地区に指定され、伝統的建造物群保存地区とし今後、町並みの整備がされていく戸隠。地域の皆さんの関心も高く、会場の中社公会堂には女性を含めて多勢の姿がありました。
戸隠の未来を語る。

この日のメインは先進地区として京都府南丹市美山町から「北村かやぶきの里保存会」の中野貞一さんをお招きしての講演会でした。
戸隠の未来を語る。
日本の原風景と呼ばれる田んぼに囲まれた茅葺き屋根の北村地区。その昔は林業王国といわれ、農林業で成り立っていた北村は昭和40年代以降、過疎化、少子高齢化により衰退し、棟が落ちる茅葺きも出現したそうです。
一方で、北村の素朴な風景を映そうと、カメラマンや絵描きが多く訪れ、それによって住民も北村の魅力を再確認していったということ。
そして、なんとか村を甦らせようと、雑穀の餅の生産販売や里芋の協同栽培など地道な取り組みをはじめ、行政(旧美山町)からも積極的な働きかけを受けて伝統的建造物群保存地区指定を目指したそうです。
行政の後押しを受けながら町おこしを進める中で、中野さんが一番お気に入りだったのは「目指せ日本一の田舎づくり」というキャッチフレーズ。
店屋はほとんどなく、建物もただの農家住宅。けれど、それがウリ。あるものを第一に自らの手で地域を守っていこうという町民意識、連帯感が醸成されたといいます。
こちらの写真は地域新聞「ふるさと」(縮刷版)
戸隠の未来を語る。
町民の啓発、親睦を図るために、手書きで北村の出来事や住人のインタビュー、写真など30年の長きにわたって北村の「今」を記録しているそうです。
素晴らしい努力ですね!icon12
こうした地道な活動が実って、北村地区は平成5年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
中山さんは、茅葺き所有者だけでなく、トタン葺きの住人も含め全員の同意を得たことが最大のポイントだとおっしゃっていました。当時は全国初のことで、これにより、住民間の不公平がなくなり、後の活動がとてもやりやすくなったそうです。
戸隠の未来を語る。
その後、保存優先の基本理念、精神的な心がまえを「北村かやぶきの里憲章」という形で制定し、全額住民出資の合同会社も設立。特産品の開発や生産、直売などにより、雇用も創出されているとのこと。
短時間の講演だったので、お話の内容は活動のほんの一端だったかと思いますが、戸隠宝光社・中社地区のまちづくりにあてはめてもとても参考になり、有意義でした。

さて、もうひとつご紹介するのは戸隠の観光や農業に携わる若手有志を中心とする「戸隠未来会議」。
一時の戸隠ブームが去り、観光客とともに人口も右肩下がりの戸隠において、10年、50年後の子どもたちに何を残していくのか、ビジョンを描き、それに向けて進んでいくためのワークショップ型会議です。
2回目となった今回は、戸隠に熱い想いのある長野市の観光振興課の担当者も含め、20数名が集まりました。
参加者が4チームに分かれ、戸隠のよい点、悪い点を洗い出し、カテゴライズして模造紙にまとめていきます。
戸隠の未来を語る。
ふだん思っていてもなかなか言う機会がないようなことも、この場では自由に発言でき、会話をしながらの作業は、とても面白く、ついつい時間が経つのを忘れそうでした。
その後、まとめた内容をグループごとに発表します。
戸隠の未来を語る。
浮き上がった課題の優先順位をつけ、その解決のために何をしていけばよいのかを考えていきます。

年齢、職業、立場は違えど、戸隠の自然と文化を愛する戸隠人たち。
50年後の子どもたちの笑顔のために、どんなビジョンを持って進んでいくのか、乞うご期待!







同じカテゴリー(戸隠人)の記事画像
100年後の戸隠を見据えて。
秋の夜長の 戸隠夜祭り
戸隠で紅葉散歩。
戸隠連峰の麓で秋を味わう
戸隠人と出逢う旅
戸隠旬ウォーク〜スキー場トレッキング〜
同じカテゴリー(戸隠人)の記事
 100年後の戸隠を見据えて。 (2016-03-27 13:38)
 秋の夜長の 戸隠夜祭り (2015-10-21 09:01)
 戸隠で紅葉散歩。 (2015-10-07 10:36)
 戸隠連峰の麓で秋を味わう (2015-09-24 16:21)
 戸隠人と出逢う旅 (2015-09-11 14:20)
 戸隠旬ウォーク〜スキー場トレッキング〜 (2015-08-24 10:24)

Posted by toga at 06:48│Comments(2)戸隠人
この記事へのコメント
もともと関西人の私は、今回開催されたという美山茅葺の里には、何度も訪れました。
大きな川が近くを流れるこの里、茅葺集落は行政の協力もあってか、とても整備され、合掌造りの白川郷にも決して劣ることのない素晴らしい景観です。
このレポートを拝読し、この里全世帯の賛同を得て成功したと知りました。
 さて、振り返って、この戸隠はどうか…。この会議の存在すら知らず、参加しなかった私が偉そうなことを言えたものではありませんが、多くの女性が参加されたとか…。しかし、果たして中社、宝光社にある宿坊の何軒が参加されたのでしょうか? 全宿坊が参加されましたか? 私には、とても全戸が参加されたとは決して思えません。 なぜなら、多分多くの宿坊では、自分さえよければ…、なんとか自分たちが食べていければいい…、そんな考え方が多いいように思えてなりません。 数戸の宿坊のみに歴史的建造物と評価し、行政の支援のもとに改修・保存に力を入れておられる宿坊には頭が下がりますが、対象外の宿坊は他人事のようにとらえ、中社・宝光社全体の街並みへの取り組みに対する意識はとても低いように思えてなりません。
 そして、もっと言えば、中社・宝光社地域だけではなく、もっと広く柵地区をも取り込んだ戸隠全体の活性化にもっと目を向け、力を入れるべきです。
 今や、人口減少と共に休耕田が増えつつあるとはいうものの、バードラインや県道からの自然の景観も農家の人達の田畑の手入れにより保たれているわけで、この人たちにもっと目を向けるべきではないでしょうか。 田畑が無くなっていけば荒れ地が当然多くなり、雑木が浸食し、自然景観が破壊されていきます。 行政面で、中山間地の活性化をあたかも柱にしているようにうかがえますが、果たして、当戸隠に言うだけの人・物・金を注ぎ込んでいるようには見えません。 付近の芋井地区や鬼無里地区では、古民家を改修し、体験農家を建設したりして、古来からの資産に乏しい中で魅力的な工夫を凝らし、なんとか人を集めようと努力しています。
 戸隠の、特に中社・宝光社の人達は何をしなくても、神話と伝説、そして妙高・戸隠国立公園等が勝手に人が来てくれる…という甘えがあります。

自らもっと情報を広く発信していかなければ、先は無いように思います。
戸隠にはあまり広く知られていないお宝が沢山あります。 歴史的なものも沢山ありますが、ここでは一つだけ、お宝と言っては何ですが、戸隠、しいては長野のお宝…と言っても過言ではない人です。 それは、戸隠支所のすぐ近くに『法雨庵』というギャラリーを設けられた“駒沢たん道”さんです。
ご存じない方が多いのですが、プロの仏像写真家で、しかもこの戸隠豊岡の親鸞聖人所縁の県天然記念物にも指定されている桂の木の麓で生まれ、小学生中学年まで育った方です。 幼くして長野市内に出、苦労されたのち大きな出版社、新聞社などに見出され、海外にも出向かれたとても見識の広い方で、その人脈の広さは、ギャラリーに展示されている写真とともに、いろいろ寄贈された幅広い展示物にも見ることができます。
このようなことも含め、戸隠地区神話・伝説・文化遺産と総称しての情報発信も積極的に手掛けられては如何でしょうか。 まだまだ申し上げ炊きこともりますが、ここで終わりにします。
Posted by チャロ at 2015年03月07日 12:00
チャロ様、
貴重なご意見ありがとうございました。
ご指摘の点は多くの人が気がついていながら、なかなか解決できない課題であります。私も柵地区の住人なので、日頃から痛感しております。
一言で「まちづくり」といってもいろいろな利害が絡み、その道のりは前途多難ですが、「10年、50年先の子どもたちのためによりよい戸隠を残す」という共通の想いを掲げて歩んで参りたいと思います。
Posted by togatoga at 2015年03月10日 09:19
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。